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沿革

1949年4月
海運統制機関であった西部油槽船運輸統制会社の解散に伴い、創業者公家辰次が九州地区船主の強い要望を受け、資本金100万円にて石油類輸送の内航海運会社として当社を下関市岬之町にて発足した。
1961年以降
コールタール及び蒸留品の輸送が拡大し、それまで技術的に難しいとされていた特殊ファインケミカル(クロロスルフォン酸)等の海上輸送にも進出。業績の飛躍的拡大を果たした。
1970年3月
八幡製鐵、富士製鐵の合併(新日本製鐵の誕生)に伴い、タールの配船業務は新日鐵、新日鐵化学の共同配船となり、船会社として西部タンカー他2社が選定された。
1971年4月
新日鐵、新日鐵化学ならびに西部タンカー他2社の計5社によりSU会が組織され配船業務を担うこととなり、当社は君津コークス工場から戸畑向けのタール輸送に参加した。
1972年8月
公家通孝が代表取締役社長に就任。
1977年4月
本社を下関市から東京都に移転、物流の多様化、情報化に対応するための機構整備を行う。
1982年7月
主要荷主である新日鐵化学株式会社(現在の日鉄ケミカル&マテリアル株式会社)の資本参加(20%)を得て、同社との提携が一層強化された。
1988年
新日鐵化学(現在の日鉄ケミカル&マテリアル)の白ケミカル輸送(スチレンモノマー)を開始、以降、フェノール、BTX、シクロヘキサン、メタノールと輸送品目の拡大を図る。
1989年4月
新日鐵化学(現在の日鉄ケミカル&マテリアル)による追加出資を実施(増資後 出資比率38%)。
1989年9月
花井哲が代表取締役社長に就任。
1998年4月
経済のグローバル化が進む中で業界における価格競争が激化し、海上輸送の合理化・効率化の目的から業務の見直しが図られる動きとなり、主要荷主の一社である新出光は自家用船を廃止することとなり、当社が新出光の石油製品海上輸送の元請となった。
1998年8月
当社は新日鐵化学(現在の日鉄ケミカル&マテリアル)の白ケミカルの元請となり、翌年1999年9月には黒ケミカルの元請となった。
2000年9月
山形英雄が代表取締役社長に就任。
2004年9月
公家伸彦が代表取締役社長に就任。
2007年7月
ISM認証取得。
2008年2月
国際近海を再開。(ナフタリン専航船 SHINKO23就航)
2010年3月
日新タンカー株式会社の海運部門を引継。
2010年4月
本社を中央区京橋から中央区日本橋浜町(現在地)に移転。
2017年6月
下関支店を辰栄ビルへ移転
2018年3月
新日鉄住金化学(現在の日鉄ケミカル&マテリアル)からの要請に基づき同社が保有していた当社株式1,100,000株を自己株式として取得(出資比率10.5%)

※社名は当時のもの

社訓

創業者 公家辰次筆